COMPASS / MANIFESTO

12 CHAPTERS · A LETTER FOR THE AI ERA

そのAI、 まだ質問相手ですか?

私は先に、AIを部下にしました。

YUTO MATSUI FOUNDER & REPRESENTATIVE

CHAPTER 01

01 / 12

AIに仕事を奪われるのが怖い。

安心してください。

あなたの仕事だけではありません。

私の仕事も、先生の仕事も、優秀な先輩が三日かけていた仕事も、まとめて狙われています。

実に公平です。

AIは学歴を見ません。年齢も、肩書も、研究歴も気にしません。教授が徹夜で仕上げた資料も、学生が締切三分前に祈りながら書くレポートも、同じ無表情で数秒後に下書きします。

忖度なし。遠慮なし。上下関係なし。

実に多様性に配慮した侵略者です。

そこで私は考えました。

侵略される日を待ちながら、椅子に座って怯えているのは、少し受け身すぎる。

どうせ来るなら、先に部下にしてしまえばいい。

私はAIに、文献を探させました。大量の情報を整理させ、コードを書かせ、エラーの原因を調べさせ、散らかったデータを整えさせ、スライドの骨組みまでつくらせました。

かなり働かせました。

しかも、残業代は請求しません。午前三時に呼び出しても、労働基準監督署へ駆け込みません。雑な指示を出すと雑な仕事を返してきますが、その点は人間関係よりよほど分かりやすい。

もう少しで、私の方が部下になりそうです。

もちろん、研究データや機密情報を無警戒に放り込んだわけではありません。

渡したのは、何時間かけても自慢にならない仕事です。

検索条件を少しずつ変えながら、ほとんど同じ論文タイトルを百本眺める。括弧が一つ足りないコードを二時間見つめる。表の幅をそろえ、フォントを直し、スライドの箱を一ミリずつ動かす。

終わった瞬間だけは達成感があります。

ただし、振り返ると何も考えていません。

だから、まとめてAIに押しつけました。

すると、仕事は減りました。

ところが、楽にはなりませんでした。

雑用の山が消えたあとに残っていたのは、「そもそも何を調べるのか」「なぜそれをつくるのか」「出てきた答えを信じてよいのか」という、誰にも丸投げできない問いでした。

以前なら、「今日は文献を探していた」「実装に時間がかかった」「資料作成で一日が終わった」と言えました。

忙しかった。だから、進まなくても仕方がない。

その便利な言い訳を、AIは一瞬で片づけました。

AIに仕事を渡せば、暇になると思っていました。

実際に奪われたのは、仕事ではありません。

簡単な仕事に逃げる余地でした。

CHAPTER 02

02 / 12

私たちは、よく忙しさを語ります。

課題が多い。実験が多い。メールが多い。会議が多い。締切が多い。

たしかに多い。

大学という場所は、知性を育てる施設であると同時に、提出期限を増殖させる巨大な培養装置でもあります。

忙しいと、とりあえず目の前の作業を終えることが目的になります。

論文を読む。資料をまとめる。コードを書く。数字を入力する。

手を動かしている間は、前に進んでいる気がします。

ところがAIは、その安心を壊します。

半日かかっていた調査が短時間で終わる。数日かかっていた実装が、その日のうちに動く。文章のたたき台も、資料の構成も、一瞬で出てくる。

すると、恐ろしいことが起きます。

「時間がなかったので、よく考えられませんでした」と言いにくくなるのです。

AIが奪うのは、仕事だけではありません。

忙しさの陰に隠れて、判断を先延ばしにする自由です。

何をするべきか。

そもそも、それをする意味があるのか。

もっと良いやり方はないのか。

空いた時間には、そういう問いが待っています。

仕事を効率化した結果、人生まで効率化されるわけではありません。

むしろ、自分が何をしたいのかが、以前よりはっきり露出します。

なかなか迷惑な技術です。

CHAPTER 03

03 / 12

これまで、「どれだけ時間をかけたか」は、能力や誠実さの証明になってきました。

百本の論文を読みました。三日かけて書きました。徹夜で仕上げました。

聞く側も、思わず「すごい」と言います。

私も言います。

寝た方がいいと思いながら。

しかしAI時代には、努力の量と成果の価値が、これまでほど素直には比例しません。

十時間かけたから価値が十倍になるわけではありません。

努力した時間は、成果に添付すれば自動で精算される領収書ではないのです。

二時間かかる作業を二時間で終えた人より、仕組みを変えて十分で終わらせ、残った時間で次の問題を解いた人の方が、大きな価値を生むことがあります。

これは、根性論にとってかなり居心地の悪い話です。

もちろん、地道な努力は必要です。

研究も開発も、最後は地味です。細胞は気合いでは増えませんし、熱意を語ってもバグは修正できません。

ただし、非効率であることと、誠実であることは別です。

苦労することと、重要な仕事をすることも別です。

これから問われるのは、「どれだけ大変だったか」ではありません。

何を選び、何を捨て、何を変えたかです。

CHAPTER 04

04 / 12

ここまで読むと、「では、もう全部AIにやらせればよい」と思う人が出てきます。

毎回、話を極端に理解する人がいます。

助かります。次の見出しが書きやすいので。

AIは非常に優秀です。

そして、普通に間違えます。

しかも、間違え方が厄介です。

人間が自信なく間違えるときは、「たぶんですが」「自信はありませんが」と顔に書いてあります。

AIは違います。

存在しない根拠に立派な説明をつけ、きれいな表を添え、最後に「以上より明らかです」と締めます。

何も明らかではありません。

間違いがスーツを着て、レーザーポインターを持ち、自信満々で発表してきます。

たとえば生命科学では、AIが「この薬剤を高濃度で24時間処理しましょう」と提案することがあります。

きれいな実験計画です。

ただし、その前に細胞が死にます。

統計的に差が出ても、単に細胞が弱っただけかもしれません。

ソフトウェア開発でも同じです。

ボタンが動いても、100人が同時に押したら止まるかもしれない。ログインできても、他人のデータまで見えてしまうかもしれない。

動くことと、正しいことは別です。

最悪の場合、きれいに動きます。

間違った方向へ。

だから、AIが強くなるほど、専門知識が不要になるわけではありません。

むしろ逆です。

AIの答えを評価できるのは、その領域を知っている人です。

知識は、答えを一から生産するためだけのものではなくなります。

大量に生産された答えの中から、危険なものを見抜くための免疫になります。

CHAPTER 05

05 / 12

AIが広がると、文章の平均点は上がります。

資料は整い、表現は流暢になり、誤字も減ります。

見た目は、かなり賢くなります。

問題は、中身まで賢くなったとは限らないことです。

AIは、勉強していない人を賢く見せることがあります。

しかし、賢くするとは限りません。

一つ一つの文章は正しい。使われている専門用語も正しい。引用もそれらしい。

それなのに、全体としては何もわかっていない。

AI時代には、こうした高品質な誤解が大量生産されます。

包装は一流。中身は空気。

高級菓子の箱を開けたら、「雰囲気」が入っていたようなものです。

だから、勉強しなくてよくなったわけではありません。

知らなければ、AIの間違いに気づけません。

基礎がなければ、良い質問もできません。

全体像を理解していなければ、部分的には正しい答えを組み合わせて、巨大な間違いをつくります。

AIは、学ばない人の近道ではありません。

本気で学ぶ人の加速装置です。

この差は、今後かなり大きくなります。

CHAPTER 06

06 / 12

私は学部で基礎薬学を学び、現在は生命科学の研究に取り組んでいます。

その一方で、学生エンジニアとしてシステム設計に関わり、Webサービスを開発し、中小企業のDX化を推進し、AIを組み込んだ講義支援システムも開発しています。

こう書くと、計画的に人生を設計してきたように見えるかもしれません。

実際は、「面白そう」で研究に手を出し、「つくれそう」でコードを書き始めただけです。

結果、昼は細胞に振り回され、夜はエラーに振り回されています。

器用貧乏ではありません。忙しい多角経営です。

私は生命科学者なのか。エンジニアなのか。教育を変えたい人なのか。

今のところ、全部です。

肩書き欄が少し渋滞しています。

以前なら、一つに絞らなければ中途半端になると思っていたかもしれません。

けれどAIは、分野と分野の間にあった壁を、かなり低くしました。

これまでは、面白いアイデアが浮かんでも、「技術がない」「時間がない」「人がいない」「予算がない」で終わることが珍しくありませんでした。

始めない理由の四天王です。

四人そろうと、アイデアはだいたい会議室で静かに息を引き取ります。

今は違います。

少なくとも、「本当に無理なのか」を一人で試せるようになりました。

もちろん、AIを使えば一晩で専門家になれるわけではありません。

生命科学を知らない人が翌朝には一流の研究者になり、昼食後には巨大サービスのCTOになり、夕方には投資家から資金調達している。

そこまで都合のよい世界ではありません。

もし本当にそうなら、大学院は教育機関ではなく、かなり高額なサブスクリプションです。

しかし、専門外へ踏み出すための初速は、明らかに上がりました。

知らないことを学びながら、試作品をつくり、現実の人に使ってもらうところまで進める。

「自分の専門ではない」は、以前ほど強い壁ではありません。

これから、その人を表すのは肩書きだけではなくなります。

何を専攻したかよりも、どんな問題に気づき、どの分野をつなぎ、何を現実にしたのか。

その方が、その人の輪郭をよく表します。

CHAPTER 07

07 / 12

私がつくっているものを見て、「AIがつくったのでしょう」と言う人もいるかもしれません。

半分は正解です。

AIには、かなり働いてもらっています。

文献を調べてもらい、コードを書いてもらい、設計を批判してもらい、エラーの原因を探してもらい、文章を壊しては組み直してもらっています。

ただし、AIが本当に全部やったのであれば、私はもう少し寝ているはずです。

現実には、あまり寝ていません。

AIは作業をしても、目的を引き受けてはくれないからです。

何をつくるかを決める。曖昧な構想を要件に変える。出力を疑う。矛盾を見つける。失敗の原因を切り分ける。利用者がどこで迷うかを考える。完成していないものを、完成したように見せない。そして最後に、自分の名前で公開する。

この部分は、まだ人間の仕事です。

少なくとも、責任までAIに外注できる時代にはなっていません。

AIが書いたコードで事故が起きたとき、「AIがそう言ったので」と説明しても、誰も納得してくれません。

研究でも同じです。

AIが提案した仮説が間違っていたとしても、論文の著者欄にAIの名前はありません。

発表で厳しい質問を受けたとき、AIが代わりに前へ出て謝ってくれることもありません。

便利なところだけ一緒に働き、責任が発生した瞬間に消える。

考えてみると、かなり図々しい共同研究者です。

しかも翌日には、何事もなかったように「今日は何をお手伝いできますか」と聞いてきます。

反省の色がありません。

それでも私はAIを使います。

疲れず、機嫌も悪くならず、何度でもやり直してくれるからです。

人間の共同研究者に同じ条件を求めたら、論文より先に縁が切れます。

CHAPTER 08

08 / 12

AIは、選択肢を大量に出せます。

研究仮説も、事業案も、文章表現も、デザイン案も、実装方法も、いくらでも生成します。

しかし、どれを選ぶべきかは、本当の意味では決めてくれません。

もちろん、「最も合理的なのはこれです」と提案することはできます。

けれど、その選択で失敗しても、AIは何も失いません。

恥をかかない。信用を失わない。予算も失わない。誰かに謝る必要もない。

かなり精神が強い。

人間には、そうはいきません。

何を問題と見なすのか。何を優先するのか。誰のためにつくるのか。どこまで効率化してよいのか。何を守るためなら、あえて非効率を受け入れるのか。

こうした問いは、計算だけでは決まりません。

最後には、価値観が必要です。

AIは候補を出します。

人間は、その中から一つを選び、自分の時間、名前、信用を賭けます。

答えを出す人は、もう珍しくなくなります。

答えなら、いくらでも生成できます。

これから希少になるのは、無数の答えの中から、自分の責任で進む方向を決められる人です。

CHAPTER 09

09 / 12

少し先の未来、「AIを使えます」という自己紹介は、かなり時代遅れに聞こえると思います。

今の履歴書に、「Google検索ができます」と太字で書くようなものです。

大事なのは、AIを何時間使ったかでも、何種類のモデルに課金しているかでもありません。まして、プロンプトを長く書けることでもない。

AI界隈には、ときどき指示文の長さを戦闘力だと思っている人がいます。

役割を与え、禁止事項を並べ、口調を決め、思考法を指定し、人格までつくり込む。

そのうち、出身地と両親の馴れ初めまで設定しそうです。

そこまで書いて期待した答えが出ないと、AIではなく、たいてい呪文の方をさらに長くします。

丁寧な指示は重要です。

しかし、長いプロンプトを書けることと、良い問題を見つけられることは別です。

レストランで注文を二千字書けても、何を食べたいのかわからなければ、店員も困ります。

本当に差がつくのは、AIを使ったという事実ではありません。

学習の速度をどう変えたか。研究の質をどう高めたか。チームの仕事をどう組み替えたか。以前は不可能だった何を実現したか。

AIを使って、何を変えたのか。

そして、

AIを使うことで、自分は何者になったのか。

そこが問われます。

CHAPTER 10

10 / 12

創造性。批判的思考。コミュニケーション。リーダーシップ。問題解決能力。

以上です。

大学案内を三冊ほど重ねれば、たぶん全部そろいます。

もちろん、どれも正しい。

正しいのですが、「健康のためには、よく食べ、よく寝て、適度に運動しましょう」と同じくらい、反論の余地がありません。

そして、反論の余地がない言葉は、たいてい行動にもつながりません。

私は、もう少し雑に考えています。

疑問があれば、自分で問いにする。知らない分野でも、とりあえず入る。思いついたら、誰かに説明する前に小さくつくる。つくったら、現実の人に使ってもらう。失敗したら、立派な反省資料をつくる前に直す。

未来に必要なのは、能力の名前を五つ暗記することではありません。

面白そうなら、始めることです。

AI時代に強いのは、未来を正確に予言した人ではありません。

予言を外した翌日に、平然とつくり直せる人です。

正解が発表されるまで待っていたら、その頃には問題文ごと更新されています。

だから、小さく始める。失敗する。直す。また出す。

格好よく言えば、試行錯誤です。

まず試して、失敗したら直す。その繰り返しです。

学生が一度失敗したくらいで、会社の株価は下がりません。

記者会見もありません。辞任要求も、たぶん来ません。

失敗しても、せいぜい少し恥ずかしいだけです。

これは、学生にだけ許された巨大な無責任です。

使わない方が、もったいない。

CHAPTER 11

11 / 12

五年後、今使われているモデル名の多くは、古くなっているでしょう。

現在流行しているプロンプト術も、「昔はそんなことを手で書いていたらしい」と笑われているかもしれません。

けれど、残る問いがあります。

あなたは何を実現したいのか。

誰のためにつくるのか。

どこまでAIに任せるのか。

何を自分で判断するのか。

効率化の中で、何を守るのか。

AI時代に重要なのは、AIに詳しいことではありません。

AIによって増えた力を、何に使うかです。

研究を速くするのか。

教育を変えるのか。

誰かの不便をなくすのか。

まだ名前のない仕事をつくるのか。

それとも、他人が未来をつくる様子を、観客席から眺めるのか。

EPILOGUE

12 / 12

AIを恐れて、遠ざけるだけでもない。

便利なチャットボットとして、課題の答えだけを吐かせるのでもない。

学び、疑い、試し、つくる。

壊れたら直す。

うまくいったら、自分の中だけにしまわず、誰かのために使う。

私たちは、AI時代の教育を受ける最初の世代です。

同時に、AI時代の教育をつくる最初の世代でもあります。

教員が正解を用意するのを待つ必要はありません。

大学が変わるのを待つ必要もありません。

制度がようやく追いついた頃には、技術はたぶん、もう次の角を曲がっています。

だったら、学生が先に試せばいい。

うまくいかなければ、直せばいい。

面白いものができたら、誰かの学びに使えばいい。

一人の思いつきが、誰かの授業を変えるかもしれない。

一つの失敗が、次の誰かの近道になるかもしれない。

学生がつくった小さなものが、大学より先に未来へ着くことだってあるかもしれない。

AIをどう使うか。

何を学ぶか。

どんな大学生活を選ぶか。

どんな未来をつくるか。

その答えを、私もまだ持っていません。

たぶん、誰も持っていません。

だからこそ、この時代には、最初の一歩を踏み出す人が必要です。

未来は、完成した形で配られるものではありません。

誰かが試し、失敗し、直した跡に、少しずつ形になっていくものです。

そして、その「誰か」は、もう遠い世界の特別な人でなくていい。

少しでも面白いと思ったなら、今日ひとつ試してみてください。

Yuto Matsui
創設者・代表
COMPASS
COVER

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